top of page
荘園都市あいおい(皇室領矢野荘)
荘園都市あいおい
矢野荘と相生市
相生市は中世の荘園と同じ領域に存在しています。
1137年、鳥羽上皇の皇后美福門院は、皇室領矢野荘を成立させました。矢野荘の記録は東寺百合文書として今に伝えられています。
私たちは、荘園の遺構と新幹線や造船所が共存する故郷を荘園都市と名づけました。
矢野荘から相生市へ
美福門院が成立させた矢野荘は、皇室が保有する八条院領の中心的な荘園でした。
鎌倉時代になると、地頭の海老名氏が赴任し、1315年、後宇多上皇から東寺に寄進されます。
江戸時代は、北部が幕府領、中部が旗本浅野家、南部が赤穂藩領になりました。
大正時代から播磨造船所の求心力で地域が一体し、矢野荘は再統合されて相生市が成立します。
bottom of page